俺と妻のほのぼの激闘日記 交際編

交際を始めた俺たちは、益々頻繁に連絡を取り合うようになっていた。

 

正式に離婚が成立したとき

「何も思い出せない。○○との楽しかった想い出もあるはずなのに何も思い出せない。」

と言って泣くじゃくりながら電話で話してた。

俺は一生懸命慰めたよ。

慰めながら、俺は『喘息持ちなのに大丈夫かなぁ』という思いの方が心配だった。

 

離婚後、一人暮らしを始めるようになった彼女は、とにかくお金がなかった。(今もだけど)

小型冷蔵庫付きのワンルームの部屋を借りたは良いが、あとは布団だけの状態。

小さいテレビやテーブルを実家からもらい、レンジや炊飯器を姉夫婦から買ってもらってた。

細々としたものはお友達からもらったりプレゼントされてたなぁ。

あっ、当時は俺のことは実家には内緒。

俺は、洗濯機やその他の足りないものを送って、なんとか新しい生活が始まった。

 

当時は俺もそんなにお金がなかったので、九州から逢いに行けるのは月に一度くらい。

無理やり出張を作って逢いに行ったりもしてた。

ほんと、慎ましいけど逢えるときに一生懸命楽しく過ごすことが出来た素敵な日々。

正しく二人ともお花畑状態。

どこにも出かけない日も沢山あった。

ただただ、一緒に居るだけで良かった。

 

と言っても、大阪を知らない俺のために、人に気を遣いすぎる彼女はあちこち案内してくれた。

最初は、そう難波(なんば)!

夏の暑い時期、やたらと大きななんばのアーケード。

そこを歩いてたら彼女が突然倒れた。

手を繋いでから直ぐに起き上がったけど、熱中症的な症状。

よくよく話を聞くと、熱が身体に籠りやすい体質って診断を受けてたらしい。

早く言えよ!って思ったけど、優しい俺はとにかく心配して、もう夏に歩き回って負担をかけるのは止めようと思った。

けど、教訓は生かされず、次の年の夏は、京都の街中で同じように道端で倒れてた彼女がいた…。

 

なんばには何度も行った。豚まんやたこ焼き、その他のコスパ最高のご飯屋さんや昼飲み処。

2人ともお酒が好きなので昼飲みはしょっちゅう。

ほろ酔い気分で昼間にデートすると楽しさ倍増って感じでお勧めします。

通天閣のある新世界とか阪神尼崎の商店街とか梅田とか、本当に昼飲み出来る場所が多かった。

 

そこで、本場の味を知ったのが「どてやき」「串カツ」「たこ焼き」「お好み焼き」「豚まん」などの一般的にいうB級グルメ

もう慣れたけど、初めて食べたときは本当に美味しかった!

 

でもね、一番美味しいのはやっぱり彼女の手料理なんだよな!

里芋の煮っころがし、きんぴらごぼう、だし巻き玉子、ハンバーグ、おでん、茶碗蒸しとか挙げたらキリがないけど、最高なのは自家製チャーシューとお好み焼き!

料理が嫌いなくせに、いざ作るとどれも旨い!

しかも、全てが目分量で作ってく姿を見たときに、才能あるのに勿体ないって思ったもんだ。

 

あとは、当時俺が住んでた博多にも何度も来てくれた。

俺の行きつけのお店に連れていって『俺には、こんな可愛い彼女が居るんだ!』って密かに自慢してた。

勿論、口には出さないが、自慢してた。

 

俺の行きつけの店以外に、博多では屋台やラーメン屋さんやもつ鍋屋さんとかによく行った。

そこで、本場のもつ鍋の味を知った彼女は感動してがっついてた。

驚いてたのが、初めて博多に来たときの初めての食事で、水炊きを見たときだなぁ。

関西で水炊きは、ただの水だから白濁の旨味たっぷりのスープを見たときは『何これ!?』って感じになってた。

 

そんなこんなで、なかなか逢えないけど逢えたときは美味しいもの食べて、美味しいお酒を飲んで、下手だけど好きな歌唄って、楽しく2人で過ごしてた。

 

あっそうそう、俺に独り飲みを教えてくれたのは彼女!

一人ではファミレスにも入れない俺に

「色んな人と話せるから独り飲み楽しいと思うよ。」

と言って、勧めてくれた。

最初の飛び込んだのは、当時住んでいた賃貸マンションの一階にある個人経営の居酒屋さん。

彼女と電話しながら、飛び込んだ。

「マンションの一階に居酒屋さんがあるんだけど、ここに飛び込んで見ようかなぁ」

「入っちゃえ!」

「でも勇気が出ない…。」

「取り敢えずお店の前に行こう!」

「分かった。ん?お店のドアは中が見えない感じの普通のドアなんだけど…『勇気を出して開けてみてください。』って書いてあるぞ(笑)」

「君のことだ!、さぁ行ってこい!」

と言う感じで、俺は独り飲みデビューしたのであった。

 

 

(次回に続く)